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Selfishly

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金猫の恩返し Off本版5章


 『 金猫の恩返し 』オフ本版

 五章  ~ 飼い主の義務 ~


 木枯らしが吹くようになった頃、エドワード達が珍しく帰ってくる報告を連絡してきた。
「そうか。 で、何時頃こちらに着くんだ? 明日の昼?
 それはまた、えらく早い到着だな。 ああそうだな、早いに越した事は無い。
 アルフォンス君は別? なるほど、査定の研究を纏める時間も惜しいと言うわけだ。 
 なら、中央のヒューズにも伝えて、便宜を払って貰えるようにしておこう。
 別に対した事じゃない。 ああ、気をつけてトラブルを起こさないように返ってきたまえ」
 そう告げると、何やら向こうで怒鳴り返しているようだが、ロイは笑いながら受話器を置いた。

「エドワード君たちですか?」
 リザの問いかけに、頷き返す。
「ああ、査定の準備に戻ってくるそうだ。
 前回は捕まらなくて、締め切りにギリギリ駆け込んだ事もあって、
 今回は先に済ませておこうと思ったらしい。 少しは賢くなったよじゃないか」
 そんな憎まれ口を言いながらも、ロイは機嫌よく、デスクの上の書類を手にして行く。
 普段なら、言われて、叱って漸くの人間が、言われる前から取り掛かるとは…
 余程、機嫌が良いらしい。
 まぁ、仕事が捗るのに文句は無い。 そう思いながら、リザも自分の仕事を早めておく。
 上司の仕事のペースが上がるという事は、その後の処理が廻ってくると言う事だからだ。
「そうだ、中尉」
「はい?」
 俯いていた顔を上げて、ロイが話しかけてくる。
「今回の滞在中の鋼のの住居先は、私の所にしておいて貰えるかな?」
「はっ? 大佐の…ですか」
「ああ、査定用の資料も要るだろ? 民間の宿では、貸し出し許可が下りないものも多いしね。
 頼むよ」
 告げるべきことだけ告げると、また仕事へと戻っていく。
「判りました」
 そう返事を返しながらも、内心驚きもしている。
 エドワード達が、ちょくちょくロイの家に泊めて貰っている事は知ってはいたが、
 査定中ともなると、結構な期間になるのではないだろうか? 
 そんな長期の滞在も気にしなくて良い相手にまでなっているとは、正直意外だ。
 そんなロイの心境の変化に首を捻りながらも、悪いことではないと結論を出して、
 書類を書き上げてしまう。


 ***

「はぁ~。 疲れた…」
 列車から降りたエドワードが、がっくりと肩を落とす。
 強行軍で旅をしてきた身にとって、座る場所が確保できなかったのは痛かった。
 どうやら、近隣で大きな催しがあるらしく、それを目指しての観光客が、
 わんさかと詰め込まれていて、一晩立ち尽くして列車に揺られるのは、なかなかの苦行だった。
「さて…、買出しして、行くとするか」
 妙に痛む節々に、凝った身体を解すように動かしながら、歩きなれてきた道へと進んでいく。
 
 エドワードが定期的に戻る滞在中に、恒例化したように、ロイの邸を訪れるようになってもうじき、
 一年になろうかとしている。
 最近では、短い滞在日数なら、宿も取らないでロイの家に泊まって、旅立つ事もある。

 理由はまぁ色々とあった。
 ロイがエドワードの手料理を食べたがるからとか。
 エドワードの必要な資料が、ロイの邸に届くからとか。
 司令部に足を運ぶのが、面倒だからとか。
 錬金術師の討論が出来るとか。
 夜道を帰らせるのは危ないとか。
 …一人の家に帰るのが、何となく味気ないと思ったり。
 …一緒に居ることが、想像以上に居心地良くて、ついつい足が向いてしまったりするとか。
 
 そんな風にそうこうする間に、戻れば一緒に居るのが、半場当たり前の日常になっていた。



 

「今日はまた、えらく早いんですねぇ、大佐」
「ええ、今日の昼には、エドワード君が戻ってきてるらしいの。
 で、早く帰りたかったんじゃないかしら」
 きっちりと仕事を終えて帰って行ったのだから、リザとしては何の不満も無いどころか、
 いつもこうだと助かるのにと、儚い望みにため息が出る。
「大将が? んじゃ、また大佐の処にお泊りですかね?」
 昨日が公休だったハボックは、エドワードの到着が伝わっていなかったらしく。
 上司の不可解な行動に、納得いったように頷いている。
「ええ、今回は査定のレポートが出来るまでらしいから、長くなるんじゃないかしら」
 そんなリザの説明に、ハボックが考え込むようにして、顎を撫でている。
「変われば変わるもんですよねぇ。
 一年前位までは、顔を合わせれば言い合いばかりしていた二人が、偉く仲良くなっちゃって。
 大佐が、鍵渡してるって聞いたときは、相当ビックリしましたよ。
 俺なんか、警護の理由で必要だって言うのに、渡してもらうのにかなり渋られましたからね」
「そうね…。 多分大佐の中では、エドワード君は絶対に自分に危害を与えないと、
 心の中で思っている処が有るんじゃないかしら?」
「危害って…。俺らだって、そんな事しませんよ」
 リザの言葉に、心外なと言い返してくるハボックに、困ったように頭を振る。
「そう言うのとは違うのよ…。 主に精神面の方ね」
「精神面?」
「ええ、これはカタリーナさんから聞いた話だけど、大佐が酷く頑なな部分があるのは、
人を傷つけないでいようとする反動じゃないかって。 もっと深く読み込むと、
人を傷つけることで、自分が傷つくのが怖いのかも」
 ハボックは、呆気に取られたまま、口をポカリと開けて聞入っている。
「勿論、大佐は自分が傷つくことを恐れるような、弱い方じゃないわ。
 でも、防衛本能は、気づかないうちに築かれているものなのよ。
 でも、エドワード君は自分を傷つけない。 何故なら、彼自身、大佐同様の痛みを知っているから。
 そして、自分が傷つけた程度では、揺るがない強さを持っているから。
 そんな彼だからこそ、大佐もエドワード君の傍なら、安心して息が出来るんじゃないかしら。
 と言うのも、受け売りで、私にもはっきり判っているわけじゃないけど」
「…何か、難しいっすね…」
「そうね、超えなくてはならない壁は、人様々ですもの。
 でも、大佐が一人でも傍に寄れる人を持つことは、悪いことじゃないわ。
 人は独りでは、生きていく事さえ、耐えていくのは辛すぎるもの…」
 
 そしてそれは、エドワード達兄弟にも言えるのではないだろうか。
 彼らが人を巻き込まないようにする余り、世界と自分たちを隔絶して生きようとしている事は、
 皆にも判っている。 そんな周囲の心配の中、関わりを持ち続ける人間を作った事は、
 彼らにとっても、歓迎すべき変化だろう。
『多分、エドワード君たちも、大佐と同様な事を感じ取っているのではないかしら』
 自分たち如きでは、さしたる相手にもならない、揺らがない相手。
 それが、大佐だったと…。
 
 リザは物思いに耽りながら、冬到来の兆しが見え始めた窓の外に目をやる。 
 鈍い雲の合間から、それを払うように降り注ぐ日差しが、冬の次に来るものを予感させてくれる。
『陳腐な感傷過ぎるわね』
 そう自分の思考を打ち切って、目の前の仕事へと気持ちを切り替える。
 これから暫くは、早く帰れる事が続きそうだ。
 久しぶりに愛犬と、遠出するのも良いかも知れない。
 そう思いつけば、仕事をこなすペースも自ずと速くなる。
 本格的に冷え込む前に帰る事を決めて、仕事へと打ち込んでいく。


 ***

「ただいま」
 そう声をかけながら、自分の家に戻ることに、最初は気恥ずかしさを感じていたロイが、
 今では嬉しさが勝るようになっている事を、本人は強いて深くは考えていないようだった。
「おう、お帰りー。 メシ出来てるぜ。 
 どうする? 先に風呂に入ってくるか?」
 玄関まで出迎えるような忠誠心は持ち合わせていないので、キッチンを覗きに来たロイに、
 エドワードは味見しながら、挨拶を返す。
 味付けが気にいらないのか、小皿に取った出汁を嘗めながら、
 首を傾げているエドワードの様子を、ロイは微笑ましそうに眺める。
「そうだな。 今日は早く帰って来れたから、先に風呂に入ってくるとするか…」
 ロイがキッチンを離れようと、足を動かす前に、エドワードが話しかけてくる。
「なぁ、大佐。 ちょっと、味見してくんない?」
「私が?」
 そのエドワードの珍しい言葉に、ロイが軽く目を瞠る。
「ん、ちょっと味がいまいち決まんないような気がしてさ」
 憮然としている表情から、彼が料理の出来に満足がいってないことが窺える。
 ロイは中に足を運びながら、味見をする為に、エドワードの差し出す小皿を受け取りに近づく。
「珍しいな。 けど、君の作った料理は、どれも美味しいよ?」
 世辞ではないロイの心からの感想に、エドワードは照れたように、笑いながら鼻の頭を掻く。
 今までもロイは、エドワードが手料理を披露する度に、賛辞を惜しまなかった。
 最初は、家庭料理に縁がないと言っていた男の、物珍しさかと思って聞いていたが、
 どうやら本当にエドワードの料理が気にいってるらしく、事あるごとに強請られ、
 作っているうちに、エドワード滞在中には外食もしなくなっていたのだ。
 小皿に口を付けて味を見ているロイを、真剣な目で見ながら、固唾を飲んで判定を待つ。
 一口、二口と小皿に口を付けていたロイが、皿の中身を綺麗に飲み干す頃。
「…どう?」
 待ちきれずに、エドワードが聞いてみる。
「そうだな…。 不味いとは思わないが…、少しだけ味が濃いような気もする…かな?」
 そのロイの言葉に、やっぱりとばかりに、エドワードが大きな嘆息を付く。
「いや、でも、不味いとは、食べれないと言う程ではないよ?
 これはこれで、十分美味しいと思うし!」
 消沈しているエドワードに、慌ててロイがフォローを入れる。
「ん、サンキュー。 でも、濃い過ぎるのって、あんま身体に良くないしな…。
 わかった、もう少し薄味にし直すよ」
 ロイから小皿を受け取って、エドワードはロイに礼を伝える。
「鋼の、別にこれで、私は十分だが?」
 折角エドワードが、ロイの為に作ってくれたのだ、それをわざわざ…。
 そんなロイの心情が伝わったのか、エドワードはロイを向き直って、笑みを見せる。
「別に、作り直すってわけじゃないぜ。 ちょっと、出汁の分量を増やすだけだし。
 まぁ、そうすると、ちょっと量が多くなるんだけど、それはそれで朝の分に回せるしな」
「そうなのか?」
 それでも、申し訳ない気がして、ロイの返す言葉も弱くなる。
「そっ。 それに、俺が嫌なの! 天才の俺様に、ミスがあってはならない! だろ?」
 胸を張って、そんなセリフを唱えた後、エドワードは茶目っ気のある表情で、
 ロイにウインクをしてみせてくる。
 「ぶっ!!」
 その彼らしい言い方は、ロイに思わず、噴出し笑いを生ませる。
「へへへ。 っう事で、あんたはサッサと風呂にでも入ってこいよ。
 出てきた頃には、味付けも終わってるしな」
「ああ…、じゃあ、お願いしておくかな」
 おう!と威勢の良い返事を返して、エドワードは料理の方に気を向けてるらしく、
 出ていくロイにはもう関心を示さない。
 ロイは少しだけ、エドワードのそんな後姿を拝見させて頂き、キッチンを後にした。

 使われる事が稀な、自分の家のキッチンに立つ彼の姿が、不思議な程溶け込んで、
 見慣れた光景になっている。
 それは、キッチンに限られた事ではない。 
 今のロイの邸の中には、至る所にエドワードの残像が記憶されている。 
 リビングや、書斎に書庫。 果ては、朝に叩き起こす為に、たまに入ってくる寝室にも。 
 ロイの自分の家の記憶には、全てエドワードの姿が浮かんでくるのだ。
 そして、気づいた事がある。 
 それ以前の、自分の家の記憶が、どれ程曖昧だったかを…。

 ロイは、そこにもエドワードの残像がある浴室の扉を開けながら、
 自分の不可視な気持ちを見ないようにするように、静かに扉を閉める。


 翌朝。 
 ロイはふとした違和感に、意識が覚醒されていく。
 今日の目覚めは、悪くない。 
 薄っすらと瞼を開けながら、感じる違和感の正体を探るように、意識がしっかりとしていく。
 目に入るのは、いつもの自分の見慣れた寝室の天井だ。
 そして、窓から入る光りが朝と快晴を伝えている。
「?」
 少し肌寒い外気で、クリアーになった意識が起きる事を促してくるので、
 ロイは温まった心地よいベットを出て起き上がる。 少し厚手のガウンを纏いながら、
 部屋を出て行くと、エドワードが居るときの習慣で、キッチンへと足を運ぶ。
 そして、足を運びながら、違和感の正体に気が付いた。
 気配がないのだ…。
 エドワードが居るときには、寝室で寝ているロイにも、エドワードの立ち動く気配や、
 料理の匂いが届いてくる、それが今朝は全く感じられなかった。
 そして予想どうり、覗いたキッチンには、エドワードの姿はなく、
 焦って見に行ったリビングのソファーの上に、見慣れた人影を見つけた時には、ホッと安堵の息が出た。
「珍しい事もあるものだな」
 焦っていた気持ちを哂うように、ロイは苦笑しながら、まだ眠りを貪っているだろう相手を覗きに近づく。
 
 エドワードは、なかなかの早起きだ。 大抵ロイが目覚める前には起きていて、
 最初の頃こそ、気づかないうちに居なくなっていたが、今は大抵はキッチンで朝食の準備をしている。
 エドワードが居ることで、寝汚くベットに転がっているロイを、叩き起こす事もある位だ。
 昨日は旅の疲れもあるだろうからと、二人とも早めの時間に寝たから、
 そのエドワードがまだ起きていないのは、余程疲れでも溜まっていたのかも知れない。
『こっそり、読書でもしてたかな?』
 そんな暢気な事を考えながら、毛布の中に蹲るように寝ているエドワードの顔色を見て、
 ロイはサッと表情を引き締める。
「鋼の?」
 うっすらと紅潮している頬と、寝汗を掻いているのか、前髪が湿って額に張り付いている。
 薄っすらと開けられた唇からは、体調の異変を知らせる荒い息が吐き出されて。
 ロイは素早く額に手の平を触れて、明らかに自分より高い体温に、息を詰める。
「鋼の? 大丈夫か!」
 なるべく静かに問いかけなくてはと思いながらも、内心の動揺を表すように、
 声には性急さが滲んでしまう。
 ソファーの横に屈むようにして、エドワードの様子を窺っていると、
 ロイの呼びかけが聞こえたのか、瞼がピクリと反応を始める。
「鋼の…、エドワード?」
 
 自分を呼ぶ、心配そうな声に誘われるように、エドワードは妙に重く感じる瞼を上げていく。
 薄っすらと霞がかかったような視界の直ぐ先には、不安そうに自分を覗きこんでいる二つの瞳が見えた。
(た…いさ?)
 何故、そんな泣きそうな顔をして、彼は自分を見ているのだろう?
 ぼんやりと浮かんでくる疑問を問おうと声を出してみるが、何故だか声が掠れて、話しにくい。
 数度、瞬きを繰り返すうちに、自分の優秀な頭脳が、今の状況を弾き出してくれた。
(ーーーあれっ…? ああ、そっか…。
 ごめん、俺寝坊してた? 直ぐ起きて、メシにするなーーー)
 周囲の明るさから、朝が来ていることが理解できると、エドワードは自分の失態に気が付いた。 
 どうやら、寝過ごしたらしいと…。
 そう伝えるエドワードに、ロイは酷く痛ましそうに瞳を曇らせて、何度も自分の頬を擦ってくる。

――― どうしたんだ、大佐の奴?
      そんなに近くにいちゃぁ、俺が起き上がれないじゃないか―――

 邪魔なロイを避けるようにして起き上がろうとするエドワードを、ロイは必死で首を振って、
 肩を押さえつけてくる。 
 普段なら、その程度の力では押されない自分が、どうして起き上がれないんだろう…。
 うつらうつらと漂う意識の中、ロイがどこかに電話でもしているのか、話し声が聞こえる。
 酷く焦っているような口ぶりだから、また何か事件でも起きたのかも知れない。
『なら俺も、グズグズしてらんないや…』
 と、頭では考えているのに、意識はぼんやりとしていて、考えている事が端から薄れていく。
 暫くすると戻ってきたロイが、エドワードの背中に手を回して、少しだけ起き上がらせては、
 口に冷たいコップを添えてくれる。  一口含むと、自分が如何に喉が渇いていたのかを知った。
 一息にとはいかずに、何度か咽ながらも、カップの中の水を飲み干していく。
 咽るたびに、ロイが必死に背中を擦ってくれるのが、何だかこそばゆい気持ちになる。
 水を飲んで落ち着くと、酷く意識がぼやけてくる。
 早く起きなくちゃと思うのに、身体はゆっくりと睡魔の世界へと戻って行こうとする。
 うとうとしていると、ゆっくりと浮遊感が感じられ、
 それが大佐が自分を抱き上げているせいだと理解できた時には、
 温かいベットの中へと包まれていた。

「済まない、シーツは私が使ったままだが、昨日君が変えてくれていたから、
 それで我慢していてくれ」
 熱が高いせいか、意識が朧なエドワードの様子に、ロイは苛々しながら、
 往診を頼んだ医者の到着を待つ。
 司令部には、理由を話して迎えを寄越さなくていいように指示し、少し遅れる事も伝えておいた。
 電話口で、ホークアイ中尉の躊躇いが伝わってきたのは、本当ならロイには休んで、
 エドワードを看て欲しいと言いたかったからだろう。 が、そう出来ないのが、ロイの立場だ。
『わかりました。 大佐はエドワード君の容態が安定してからで構いません。
 迎えを送りますので、その時にはお電話を下さい』
 そう伝えてくる彼女に、「済まない」と一言伝えて、電話を切る。
 医者が来る前に、何か出来ることをと思って、軍に居た頃に学んだ知識を漁って、
 取り合えず、タオルやら洗面器やら、水を入れたピッチャーを運んだりしてみるが、
 どうにもそれだけでは心許ない。
 そうこうしている内に医者が付き、ロイは引っ張るようにして、エドワードの元へと連れて行く。
 
「風邪ですな」
 軽い診察の後に、事も無げに告げられた言葉に、ロイが聞き返す。
「風邪ですか?」
 不審そうに聞き返すロイの態度に、気を悪くする様子もなく、診察結果を繰り返す。
「そうです、風邪です。 多分、酷く疲れてたんじゃないですかね。
 疲れと寒さでひいたんでしょうな。 
 まぁ軽い初期症状なんで、栄養剤と解熱剤を打っておきますんで、
 二・三日もすれば、回復しますよ」
 そう告げながら、慣れた動きで、エドワードの腕に注射を打つ。
 まるで自分が打たれたように、ロイは眉を顰めて、その様子を窺い、
 診察の終わった医師を送り出す。
「後は温かくさせて、水分をこまめに飲ませてやって下さい。
 食べれるようになったら、消化の良い物を食べさせて、定期的に薬を飲ませてやれば、
 若い者なんですから、すぐ元気になりますよ」
 医師は苦笑を浮かべながら、悲壮な表情の青年を励ましてやる。 
 今時、風邪くらいの診断で、ここまで心配する者など、親でもいないだろうに…。

 そんな感想を医師に抱かれているとも思わず、ロイは告げられる言葉に真剣に頷き聞いている。
 お決まりの「お大事に」の言葉で、待っていたように扉を閉めては、
 エドワードの寝ている寝室に急ぎ戻っていく。

 扉の前で小さな深呼吸をして、寝ているだろうエドワードを驚かせないように、
 静かに、静かに部屋へと足を踏み込んでいく。
 薄暗い部屋の中、ゆっくりと近づいていくと。
「大佐…ごめん、迷惑かけちまったよな…」
 掠れ気味ではあるが、先ほどよりはっきりとした口調で話してくるエドワードに、
 ロイはホッとしながら、近づいて様子を見る。
「君が気にする程でもないよ。 大丈夫かい? 気分が悪いとか、苦しいとかは?」
 ベットの横に跪くと、丁度エドワードの表情がよく見える。
「ん、サイコーとは行かないけど、別にそんなに悪くない」
「そうか…、なら良かった」
 ロイは、汗で張り付いている髪を、邪魔にならないように流してやる。
 それを気持ち良さそうに、目を閉じてエドワードが受けている。
「…んっ…」
 エドワードにしてみれば、病の心細そくなっているところへの、安堵感の吐息だったのだろうが、
 ロイはビクリと自分の体が反応するのに驚かされた。
 『まさか…』と頭の中では、強く否定をしようとする声が抗議を上げるが、
 体の一部は素直に反応し始めていて、情け容赦なく抗議の声を消していく。
 汗ばむ額に、湿りを帯びた髪。 
 ロイの手の平に、気持ち良さそうに閉じられた瞼と、上げられた声は、
 病のせいで掠れて鼻から抜けるように洩らされる。
 それに刺激されたように反応している体が、頭が何を思い浮かべての事かは、
 ロイの経験上、嫌と言うほど判っている。
 自分の途方も無い想像に、ロイは驚いたように、エドワードを撫でていた手を引っ込める。
 そうして、更に後悔をするハメになろうとは…。

 撫でられていた気持ちの良さに、うっとりとしていたエドワードが、ふいに終わった行為に、
 残念そうに、止めたロイを訝しむように、ゆっくりと瞳を開いていく。
 本人が意識してではない事など、いくら動揺を受けているとはいえ、
 ロイにだってわかっている、わかっているのだ…。
 なのに、その瞳が余りにも蠱惑的で、誘われているとしか思えないのは、
 自分が穢れ切っているからに違いない。
「大佐? ごめんな、あんた、もう仕事に行ってこいよ」
 戸惑いながら、動きを止めているロイを見て、エドワードは全く見当違いなことを察して、
 告げてくる。
 そのエドワードの気配りを聞いて、ロイは自分が恥ずかしくなって、
 思わず自己嫌悪に陥りそうだ。
「しかし、こんな状態の君を置いて行くなんて…」
 かといって、自分が休むわけにも、連れて行くのも当然無理に決まっている。
 ロイのそんな当惑を、エドワードは小さく笑って、寂しいことを返してくる。
「大丈夫だって…、慣れてんだから、こんなのは」
 言ってくる本人より、聞いたロイの方が哀しくなるような事を、
 この歳若い子供は、平気で告げてくる。
 黙りこんだロイを訝りながらも、エドワードは急きたてるように、話してくる。
「大丈夫だって。 どうせこの後は、寝ちゃうんだから、あんたが居ても、変わんないって」
 そう告げながらも、解熱剤が効いてきたのか、エドワードの瞼が、重そうに瞬かれる。
「判った…。 なるべく早く戻ってくるから、大人しくしてるんだぞ?」
 グズグズしていれば、その分帰るのが遅くなるだけだ。
 ロイは決心したように告げ、念も押しておく。
 立ち去る前に、細々と水の場所やら薬を手元に置くのを告げてやると、
 面倒くさそうな返事が数回返って、その後は眠りに入っていった。
 少しだけ荒い呼吸を付きながら寝ているエドワードの横で、
 ロイは重い吐息を吐き出しながら、立ち上がる。
 そして…。
 数歩、行った先で、後ろ髪を引かれたように振り替えると、
 性急な足取りで戻り、薄っすらと開かれた唇に触れるだけの口付けを落として、
 慌てて部屋から飛び出した。

 その後急いで迎えを寄越す旨の電話をして、身支度を整える。
 その間中も、自分の先ほどの行動を詰る言葉が、延々と心の中で繰り返されている。
『何を馬鹿な事をしたんだ! しかも、相手は病人だぞ。
 何故、あんな真似を…』
 自分の行動を詰り、湧き上がった感情を、侮蔑な思いで非難するが、
 病人を相手にと責めれば、なら健康な時なら良いのかと返す、もう一人の自分が居て…。
 ロイはめちゃくちゃに入り乱れる感情に、翻弄される。
 そして、そうこうする間にも、出来るだけ飛ばしてきたのだろう、
 到着を告げる性急なクラクションが鳴らされ、ロイの困惑も、一時途切れた。

 門の外で待つ車に乗り込む為に、急いで玄関の扉を閉めて、足早に庭を進んでいく。
 そして、門に手をかけたまま、後ろを振り返る。
 そこには、ロイだけの家ではないモノが佇んでいる。
 それに気づいた時、ロイの中に答えが浮かんでくる。

『好きだからに決まってる…』

 ポツンと、自分の中で煩く騒いでいたもう一人の自分に、告げる。
 自分の胸中に落とした答えに、騒いでいた自分も押し黙り、小さくなり、消えていく。
 そして残ったのは、今まで気づかなかった、気づこうとしなかった行動の数々の理由。
 たった一つで、それが全てだった事を、漸くロイは認めたのだった。
 「好きだから」と言うシンプルな理由。
 でも、それが無ければ、自分があそこまでの行動を取っていく筈が無い。
 
 彼を連れ帰った理由…。
   そんなの、気になっていた存在だったからに決まってる。

 何度となく、買い換えてきた食料たち…。
   いつでも、エドワードが来てもいいように、
     … いや、来て貰えるようにと……。

 一人でない食事が美味しいのだって…。
   誰かじゃない、エドワードが居たからだこそ。

 鍵を作って渡したのも…。
   彼に持っていて欲しかったからじゃないか。

 今こうして、仕事に行きたくないほど心配なのも、
   彼が愛しい人だからだ…。

 そんな簡単な事に、自分は気づくのに一年も費やしていた。
 いや、恐れていたからかも知れない。
 居心地の良い時を、失いたくないと、無くしたくないと。
 気づかなければ、変わらないと信じて。

 そんな臆病な愚かな自分が居たなんて、ロイにしてみても驚きの発見だ。
「全く、馬鹿だな私は…」
 思わず零れた呟きに、ハボックが怪訝そうに窺ってくるが、
 何も聞かずに、運転に集中している。
 普段よりは、心持速いスピードで、車は司令部に向かっていく。
 ロイは、出来るだけ最短で戻れる算段をたてながら、無言で着くのを待つ。
 今日ほど、司令部に早く着きたいと思った事はなかった気がする。
 

 ***

 深夜、熱が高くなると言われてた通り、薬の切れた頃に上がっていく体温と供に、
 エドワードの意識も、浮かんだり沈んだりを繰り返していた。
 浮かんだ時には、じっと自分を心配そうに見つめる瞳が、必ず傍にあった。
 それが確認できると、何故だか酷く落ち着かない反面、酷く安心でき。
 エドワードは、またゆっくりと意識を手放していく。
 そんな事を数度繰り返して、明け方近くに熱も幾分収まり始め、意識がしっかりとしてくる。
 目覚めた時に、いつも寄り添うよう、窺うように向けられていた瞳を見つけられず、
 少しだけガッカリした気持ちを持て余し気味に、視線を廻らせば。 少し離れた処で、
 光量を抑えながら小さな文机で、仕事に打ち込んでいるロイを見つける。
 
 エドワードは、静かにその姿を見つめていく。
 忙しなく動かされているペンと、一心不乱にその先に視線を落としている姿。
 時たま前髪が邪魔になるのか、無意識に掻き上げては、癖の無い髪はまた元に戻っていく。
 多分、エドワードの看病をする為に、持ち帰れる仕事は、持ち帰って走って戻ってきたのだろう。
 ぼんやりとしていた意識の中でも、ロイが親身にあれこれと尽くしてくれていたのは覚えている。
 水しか飲めないエドワードに、薬を噛み砕いて、小さくして飲ませたり、
 汗でべたつく寝巻きやシーツを変えて。
 寝付くエドワードの傍で、窺いながら、宥めながら、声をかけては、優しく触れていく
 …その感触を思い出すと、エドワードは熱以外の何かで、頬が熱くなるのを感じる。

「どうした? 喉が渇いたのか?」
 余りじっと見ていたせいか、視線に気づいたロイが、優しげに聞いてくる。
 立ち上がり近づいてくるロイを、エドワードは驚きを感じながら、視線を外せない。
『どうして、こんなに優しい声で話すんだろう…』
 大佐は、こんなに優しい話し方をする人間だっただろうか?
 別段、最近の自分たちの間柄で、冷たくされるような事はなかったが、こんな…
 こんな慈愛を含ませて、語られる事も記憶にはなかった。
 そして…、こんなに触れる人間だっただろうか…。
 エドワードの戸惑いを余所に、ロイはベットの端に腰を下ろすと、
 温くなっているタオルを取り上げ、乱れてしまってる髪を撫で付けるようにして触れている。
「水を飲むか?」
 病人を慮っての抑えられた声がやや掠れているのは、ロイも疲れているせいもあるのだろう。
 申し訳ないと思いつつも、甘えるように頷く自分を止められない。
 丁寧に抱え起こし、ロイがカップを傾けてくれる。
「冷たい水が飲みたいだろうが、冷えた物は身体に悪いんでね。 温いが我慢してくれ」
 その言葉に小さく頷いて、傾けられるカップの中身を喉に流し込んでいく。

「ふぅー」
 満足げな吐息を吐き出す唇が、水に濡れて扇情的な眺めだ。
 ロイは我知らずに、じっとその唇を凝視しながら、コクリと喉を鳴らす。
『まだ…早い…』
 込上げてくる衝動を噛み砕くようにして、我慢すると、視線をエドワードの唇から
 剥がそうと努力を総動員する。
 が、濡れた唇を赤い舌で嘗めるような仕草をみせたエドワードに、
 ロイは忍耐が崩壊して行くのを、遠く自分の体の中で感じていた。
「エド…ワード…」
 思わず顎を掴むように動いた手が、宙を掴んで浮かんでしまう。
「はぁー、満足…、寝るな…」
 ポテリと身体をベットに落として、エドワードは気だるげにそれだけ告げると、
 ゆっくりと眠り始める。
 体が、回復を願って睡眠を欲しているのだろうが…。
「危なかった…」
 理性と情動のせめぎ合いに、気力を使い果たしたロイは、少しの安堵と、
 多大な惜しむ気持ちを抱えながら、眠りに着いたエドワードの掛け布団を直してやる。
「早く元気になってくれよ…」
 そんな懇願を嘆息と供に吐き出しながら。


 
 数日後。
 慌しい物音に、ベットで資料を読んでいたエドワードが、怪訝そうに頭を持ち上げる。
「なんだ?」
 
 医師の診断を待たずに、2日目には熱を下げ始めたエドワードは、
 もともとの気質も有って、ベットから出たがり、そのつど、
 ロイに叱られて戻されるを繰り返している。
「寝てても暇!」と言い募るエドワードに根負けして、ベットで横になってるならと、
 条件付で査定の資料を回してもらう。
 と言っても、頃合を見計らって取り上げにくるロイのおかげで、体調は回復を見せていた。
 コンコンとノックの音が届いて、返事をする前に扉が開けられる。
 いつも、自分がそれをすると、チクリと嫌味を言う相手だけあって
 腑に落ちない気持ちになるが、ここがロイの寝室である事を思えば、
 主が部屋に入るのに遠慮はいらないだろう。
「大人しくしていたかい?」
 ここに入る度に口癖になっている言葉に、エドワードは「はいはい」と
 おざなりな返事を返している。
「何かあったんか?」
 それが何を察してのことかは、ロイも思い辺りがあるようで。
「済まない、直ぐに終わるから、暫く我慢してくれ」
 と謝りはするが、エドワードの質問には答えてこない。
「何?」
 根気良く質問を繰り返すと、ロイは苦笑を浮かべながら、短い単語を告げてくる。
「ベットだ」
 そう答えを返しながら、ロイは軍服を脱いで、部屋着に着替えている。
「ベット?」
 言われた言葉を繰り返すエドワードに、ロイはパタンとクローゼットの扉を閉めて、
近づきながら、もう少し明確な答えを教えてやる。
「ああ、君のベットだ。 ついでに、部屋も用意した」
 そう告げながら、起き上がって自分を見ているエドワードの傍に腰かける。
「俺の!? 部屋も? 何で?」
 エドワードが驚くのも無理は無い。 
 彼がここに泊まるようになってから一年も経とうと言うのに、
 ロイは彼に部屋を用意してこなかったのだから。
「それには、私の配慮が足らなかったとしか言いようがないが、
 先日の君の風邪で気づかされてね。 急遽準備した。 
 急ぎの事なんで、足りないものがあったら、後から準備させてもらうんで、許してくれ」
 そう告げてくる相手を、エドワードはまじまじと見つめる。
 この目の前で、妙に嬉しそうに話している相手の意図が読めない。
「な、何で? 別にそこまであんたにして貰う必要はないぜ?」
 戸惑いながらそう答えると、ロイはゆっくりと頭を横に振る。
「違う。 私がそうしたいだけなんだ」
 そう告げるロイの瞳が、余りにも優しい色を湛えていて、エドワードは妙な気恥ずかしさに、
 避けるように俯く。
 そんなエドワードの照れぶりに、ロイはクスクスと笑いながら、からかうようなセリフを告げる。
「それとも、私も一緒に寝ても構わないのかな?」
 笑いを含んだ言葉の内容に、エドワードが驚いたように顔を上げて、ロイを見つめる。
 確かにこれはロイのベットだ。 自分が寝ていた間は、ロイが窮屈なソファーで
 寝ていたことは、想像に難くない。 
 したがって、エドワードが復調したら、このベッドを明け渡さない限り、
 ロイは寝る場所がないのだ。
「悪かったよ…。 でも、わざわざ…」
 渋るエドワードが、何を思ってかは判る。 判るが、違うのだ。 そして、
 先ほど問うた言葉も、冗談やからかいだけではない、紛れも無いロイの本音も混じっている。
「エドワード。 それに遠慮して、今後泊まりに来ないは、無しにして貰えるかな?
 私は君に泊まって欲しいから、部屋もベットも用意したんだ…いや、したかったんだ。
 だからこれからも、今まで通り、それ以上に来て欲しい。
 部屋は沢山あるんだ、アルフォンス君も勿論一緒に呼んでおいで」
 そのロイの言葉に、驚きで見開かれていた瞳が、更に大きく真ん丸くなるのを、
 ロイは楽しそうに微笑みながら眺めている。
 一頻り驚きが落ち着くと、エドワードは何か言おうと、パクパクと口を開け閉めし、
 結局真っ赤になった顔を俯かせて、小さな一言だけ呟いた。
「…ありが・・とう…」
 シーツの中で、手の平が強く握り締められる。 そうでもしてないと、
 泣き出しそうな気持ちを我慢できなくなる。
 自分と弟には、家は無い。 家がないと言う事は、当然、自分の部屋も、
 ベットも有りはしない。 
 ずっとそれでも、エドワードは構わないと思っていた。
 自分たちは大罪を犯した身なのだ。 普通の人のような幸せを望める立場ではない。
 目的がある以上、それを何よりも優先する為に、不要なものを切り捨てていく。
 そうしなければ、願いは達せられないのだから。
 
 ロイは目の前で肩を震わせている、華奢な姿を見守る。
 自分が彼らに出来ることなど、高だか知れている。
 それでも、何かしてやりたいと思うのは、相手が自分の想い人なら、
 恋する者にとっては当たり前の感情だろう。
 それでも、ロイは今の自分の気持ちを、明かそうとは思ってはいない…直ぐには。
 彼らが目指すものは、ロイが目指すものより遥かに難題だ。
 これ以上の負担を、今の彼にかけるべきではないだろう。
 いつか、彼らが願いを叶えたその時には、ロイは自分の胸の内を明けようと思う。
 その時まで、大切に心の中で温めていようとも。
 その為には、部屋は別にした方がいいのだ。 一つの家に、ベットが一つの状態では、
 どんな間違いが起きるシュチエーションが生まれるかも知れない。
 まぁ、それを少しも期待していないかと問われれば、している自分が居ることも確かだが。
 自分は我慢強く、忍耐力がある方だと思ってはいたが、どうもエドワードが絡むと、
 自分でも考える前に行動していた数々の出来事があるので、余り過大な期待を自分に課すのは
 よしたほうが良さそうだとも思っている。

 今も目の前で、赤い顔色を隠すように俯いているエドワードを、
 抱きしめたくて仕方が無いのだから…。




 躾が必要なのは、通い猫にではなく、飼い主の方にこそかもしれない。 



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